小説家や天台宗の尼僧として活動した瀬戸内寂聴さん。
2021年11月9日、心不全のため京都の病院で他界されました。
そんな瀬戸内寂聴さんの若い頃がモテ女だったと話題になっています。
実は、3度も不倫するほどの恋多き女性だったのだとか。
今回は、瀬戸内寂聴さんの若い頃の画像についてもみていきたいと思います。
目次
瀬戸内寂聴が心不全にて他界
2021年11月9日、
またもや偉大な方がお亡くなりになってしまいました。
訃報
瀬戸内寂聴さんが、お亡くなりになりました死因は心不全、享年99歳
心よりお悔やみいたします。 pic.twitter.com/GnykpwvtEu
— まさる⊿⁴⁶(基本DD) (@63masaru) November 11, 2021
瀬戸内寂聴さんは享年99歳。
死因は心不全だったと言われています。
昔から長年に渡ってご活躍されていた寂聴さんだけに
もう99歳だったのかという驚きと
寂聴さんでも年には勝てないのだなと哀しさを感じますね。
孤独や病、家族不和などに悩む人への思いに耳を傾け
手を差し伸べてきた寂聴さん。
そんな寂聴さんは
若い頃はかなりのモテ女だったと注目されています。
瀬戸内寂聴さんの若い頃の姿を画像でみていきましょう。
【画像】瀬戸内寂聴の若い頃はモテ女だった!
若い頃は、
主に小説家として活躍した瀬戸内寂聴さん。
執筆活動と並行しながら、
51歳で出家し、嵯峨野に寂庵を結びました。
その頃からお馴染みの坊主姿になり
僧侶の格好をするようになりました。
瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。
99歳といえ元気そうでしたが残念である。説法はとても女性に人気が有り私自身も元気を頂きました。御冥福をお祈りします。#瀬戸内寂聴 pic.twitter.com/EOz2lQ5JyD— 誰がおっさんやねん。 (@rex41957) November 11, 2021
そんな寂聴さんは、
若い頃かなりのモテ女だったようです。
▼瀬戸内寂聴の若い頃の画像がこちら!
現在でも面影が分かるほど。
とても笑顔が素敵ですね。
また、白黒写真ながらも、
格好もお洒落で西洋風の服をきていることが分かります。
しかし、モテ女だったというほど
可愛いという反応は無いようです。
瀬戸内寂聴さんがモテ女だったと言われる所以は
過去の3度にも及ぶ不倫の経緯が関係しているようです。
瀬戸内寂聴の若い頃は3度も不倫するクズ女だった?
若い頃はかなりのモテ女だったという瀬戸内寂聴さん。
過去に3度も不倫をしており、
モテ女を通り越したクズ女だったとも話題になりました。
さっきミヤネ屋見はじめたばっかだけど、瀬戸内寂聴って不倫してたりしてたの?ごめん、普通にクズくね??
— 無能なおにゃのこ。さとちゃっ (@onyanyanoko_25) November 11, 2021
瀬戸内寂聴師が逝去したか
仏門に入る過程のエピソードがかなりクズいので恋愛がらみの人生相談とかしてるの見ると口角が上がりそうだったわ😑— ガソリンタン君@年度内自粛中 (@GasoleneTANKUN) November 11, 2021
瀬戸内寂聴さんは、
東京女子大学在学中の二十歳の頃に酒井悌とお見合いで婚約。
翌年2月に結婚し、
10月に夫の任地北京に渡り女の子を出産しました。
しかし、ここからがモテ女で
クズと言われる不倫の経緯の始まり。
実の娘を置いて、3人の男と不倫をしています。
1度目の不倫の際は
まさかの夫の教え子に恋をして3歳の娘を残して家を出たのだとか。
また、2度目3度目の不倫は
共に妻子持ちの男性がお相手で、かなり悪質ですよね、、
しかし、これだけ不倫をするにも
寂聴さんに女性としても魅力があるモテ女だったからに違いありませんね。
若い頃は好き勝手やっていた寂聴さんですが
出家してからは欲を禁じ、多くの方の支えになりました。
より多くの経験をしてきた寂聴さんだからこそ
寂聴さんの名言はこれからも多くの人を支えてくれることでしょう。
1度目(1946年):夫の教え子(21歳)の文学青年と不倫
2度目(1951年):小田仁二郎(妻子持ちの作家)とW不倫
3度目(1966年):井上光晴(妻子持ちの小説家)とW不倫